音の重なり

ある朝、目を覚ますと天井や壁など至るところから金属音がしていた。どうやら近隣の工事現場の足場の音のようだが、とにかく美しい。まるで水琴窟の中に入ったかのような音で部屋全体が鳴っていた。録音しようかと思ったが、寝床でじっと聴いているといつの間にか音は止んでしまった。時々、こういう思いがけない音に出会う。

音の体験が蓄積していくと音の類似性に気付くようになり、面白い。例えばスズムシの声と私の家の洗面所の電灯が出している微細なノイズは似ている。実家にいた頃、換気扇と冷蔵庫の音を、母は私の音楽が鳴っているのだと間違えたこともあった。

静寂の体験も面白い。十代の頃のある年の元日。夜に外を歩いていると、いつもは車も人も絶えない道に自分ひとりだけで、何も音がしなかった。街灯から街灯へと飛び移るように早足で急いだのを覚えている。いつもと違う無音の街の様子が奇妙に感じたのだ。

何か別のことを想起したり、思いを馳せたりする音楽を作るには、こういった経験が作曲のヒントになる。

福岡で開催されている鉱物の展覧会のための音楽を作った。九州大学が所有している鉱物のコレクション展で、音を聴きながらを鑑賞する。

鉱物の音を考えたとき、最初にじっと動かず何も音を発しない石、すなわち沈黙を思い浮かべた。しかし記憶を探ると、奈良県談山神社で観た能舞台で切り火をする火打石があった。またフランスのニースの石浜では、波に引かれ、ひしめき合うように無数の丸い石たちが鳴っていた。その他、石にまつわる音として、石琴のような楽器。少し拡大解釈を許せば、夜中にしくしくと泣くという「夜泣き石」の言い伝えや芭蕉の「閑さや岩にしみ入る蝉の声」も入れられるだろう。

鉱物は数百万年、十数億年をかけて変化してきた結果である。時には植物も地層の中に沈み、長い時間を経て化石になり、鉱物の仲間になる。我々が日頃感じている感覚をはるかに超える長大な時間の表現に、音楽あるいは音は有効だと主催者は考えたという。

鉱物を叩いて音を録音したり、隕石もあったのでNASA(アメリカ航空宇宙局)が公開している音を使ってみたり、どうすれば来場者が自由に想像力を膨らませながら鑑賞できるかを試行錯誤した。

人と音との関わりについて考えることは、音楽を作るためにとても重要であり、難しい。置かれた状況、その時の気分や体調によって、音や音楽の捉えられ方は変化する。気持ちのいいものも、不快に感じられたり、あるいはどちらでもない、全く気にも留まらないようなものにもなることもある。またある人たちにとって好ましい音は別の人たちにとっても同じように好ましいとは限らない。

至るところで複数の音が同時に鳴っており、その境界は曖昧である。音は重なり、いろいろな音風景ができる。私たちひとりひとりがその風景の中にいて音を重ねている。

 

2020年1月6月掲載