パッション

新作アルバムが昨年の晩秋に完成した。音楽とともにこれからも人生を進んでいく決意を込めてタイトルは「PASSION(パッション)」とした。ピアノとコンピューター、フィールドレコーディング(環境音)に加え、今回は邦楽器の笙や能管、ペルシャ楽器のサントゥールの音を入れている。

「パッション」という言葉を見るとすぐに「情熱」という訳語を思い浮かべるが、「(イエス・キリストの)受難」という訳語もある。バッハの有名なマタイ受難曲は英題「St Matthew Passion」である。パッションフルーツも花の一部が十字架に見えることから名付けられている。

この相反するような二つの訳語がどうしてあるのか以前から不思議だった。語源を少し調べてみるとラテン語の「pati」に遡る。諸説あるが、キリスト教における意味の発生以前は「耐え忍ぶ」や「経験する」「受ける」といった意味であったらしい。
パッションという言葉を少し拡大解釈して「受け入れること」と捉えてみてはどうだろうか。

世の中には受け入れたくないことがたくさんある。自分が思い描く理想と異なる現実。決して分かり合えないのではないかと思える意見やコミュニティの人たち。人間の力では及ばない自然現象など。しかし我々は同じ世界、地球で生活し、生きなければならない。自らが置かれている状況を把握し、拒むのではなく受け入れることは決して楽ではなく、強い意志が必要である。このように考えると訳語としての「受難」と「情熱」は深いところで繋がっていると思える。

音楽に対する気持ちは燃え上がるような炎というより、地下に流れつづける水脈にたとえた方が私にはしっくりくる。この先何が自分の身に起こってもそれを受け入れ、それでも音楽をつくり続けていくということだ。中学生のときに音楽家になる!と決心したときはまだ片方のパッションしかなかった。

耳を澄ますこと、聴くことも受け入れることと似ている。日常では気づかない音に意識を向けること。これは何の音なのか、なぜ気になるのかと問いを立てる。どこかで聴いたことがあるかもしれないと記憶を探り、他の音と重なるとどんなふうになるだろうと考える。音を聴いて、音をつくる。この両方があって初めて音楽が成立する。聴くことは重要であるがそれだけでは音楽は生まれない。つくらないといけない。

うっかりすれば受け入れることは妥協や従属になってしまう。状況を深く考え、何をするべきかを判断し、強い情熱を持って前に進まなければならない。力強く引いた弓は鋭い矢を放つように、二つの指向を持つパッションを今まさに持たなければならないのではないか。

苦しくて嫌なことばかりではない。今ある幸せと、次の幸せ、そして必ず訪れるであろうまた別の幸せも同じように受け入れるのだ。