まっすぐに伝わるもの

京都国際写真芸術祭キョウトグラフィの関連企画として、亡き祖母が一九六八年に欧米を旅したスライド写真と私の音楽の展覧会「Wind Eye 1968」を催した。タイトルは「窓」を意味する古い英語である。壁に投影されたスライドが一九六八年の世界を覗きこむ窓のように感じられるからだ。

展覧会準備の最中に、この旅行を撮影した8ミリフィルムも数本出てきたので現像し、初めてその中身を見た。祖母は、医師の夫(祖父)の視察旅行に同行していたため、病院関係者が出発の見送りにきているところから始まり、飛行機から見下ろした風景、モスクワの病院やヨーロッパの各都市の風景などが収められていた。実のところ、一九六八年に旅したという記録がなく、母の記憶を頼りにしていたのだが、ナポリのヌオーヴォ城広場の植木が「1968」と刈られていたので確認が取れた。

祖父は私が生まれる半年前に亡くなっていたため、祖父が動く姿を見たのは初めてだった。祖父は律儀な人だったらしく、毎日、始業よりも相当早く病院へ行き、診察室の掃除、それから屋上で剣道の素振りをしていたという。昼食には英字新聞を読み、コーヒーを飲む。夜にはたとえ来客があっても決まった時間になると寝室へと行く。こういった話を親戚などから聞いて想像していた人物像と、音のないフィルムの中で動く祖父はぴたりと一致していた。

先日、奈良県の談山(たんざん)神社で行われた能を観に行った。石舞台古墳を過ぎて山の中へと入って行く。この辺りは中大兄皇子と中臣鎌足が大化の改新にむけて話し合いを行った場所として知られ、能楽を大成した観阿弥・世阿弥の本拠地であったらしい。以前にもここのお堂の中で能を観たことがあるが、今回は野外の特設ステージで演目「翁」と「百万」が上演された。観世清和氏、野村萬斎氏、片山九郎右衛門氏や大倉源次郎氏、亀井広忠氏など名だたる出演者が集った。

山の響きは美しかった。笛と鼓などお囃子は前方の舞台上から聞こえてくるのであるが、反射音が後方からやってきて聴衆を包みこんだ。電気的な音響拡張はもちろん一切ない。シテ方の面(おもて)の中から発せられる声は違う世界の穴から聞こえてくるようだった。そして鼓の音が山から山へと、まさに響き渡っていくのがよくわかった。そこに鶯の鳴き声や風の音が入る。中世の人たちもきっとこのような音を聞き、名人芸に酔いしれただろうと思った。

ものごとが伝わる過程には常に変化が伴う。伝統と言われるものも元を辿ってみれば途中で全く新しい要素が加えられていたり、改変されていることは多い。しかし一方で「まっすぐ」に伝えられ、今を生きる私たちの前に立ち現れるものがある。それは本質と呼ばれるものだろうか。このことをフィルムの中の祖父の姿と談山神社での山に響くお囃子の音は教えてくれた。

 

2019年5月13日掲載