お囃子の魅力

能との出会いは能舞台ではなく、学校であった。中学一年生から高校三年生まで週に一度能楽の授業があり、卒業の際には「小袖曽我」を舞ったと思う。謡と仕舞が中心であったため、能舞台でお囃子を聴いたときは強い色彩と、感じたことのない興奮を感じた。

十数年が経ち、全四幕(四日間)上演時間八時間の芝居、ポール・クローデル作、渡邊守章翻訳・演出『繻子の靴』の音楽を担当する機会に恵まれた。この作品で故藤田六郎兵衛先生とご一緒できたのは本当に幸せであった。

二日目第十三場「二重の影」で、決して結ばれない禁断の恋に落ちた主人公の二人、ロドリッグとプルエーズの影がモロッコの壁で重なりあうシーン。渡邊先生から能管を入れたいと言われ、とても頭を悩ませた。能管の旋律を書き、和声付けをして伴奏をつけようものなら必ず失敗する。私は、空間配置としてのコンポジションを試みることにした。

あらかじめ録音した六郎兵衛先生の笛を逆再生したものを影と見立て、舞台上で六郎兵衛先生は自らの影と共演する。そして地鳴りのような低音など電子音を重ねていく。音同士は「濁る」こともなく、またどちらかが背景となることなく共存していた。

お囃子は空間を作り上げる。能舞台が極度に簡略化されているためだろう。能管のヒシギによって、舞台と客席は一瞬にして違う世界へと変化し、鼓と声によって時間もゆっくり変容していく。観客の私は遠い昔に思いを馳せる。遥か彼方の音も聞こえてくるようだ。中世ではどんな風に響いていたのだろうかなど、いろいろなことを想像する。やがて聴いているのは本当に「いま」の音なのか、という問いを持つ。そして名手が先人たちの芸を厳格に継承しているからこそ、先代たちの音が背景にあり、「遠い昔の音」が聞こえるのではないだろうかという考えに至る。

これほどまでに音響的に没入でき、かつシンプルな編成、残響に依存しない音楽は他にあるだろうか。

 

2018年10月7日執筆