ESSAY 2021
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Jan 1, 2021

「三日月湖」

朝食を玄米粥にしてから調子がよい。鰹節と自家製の梅干し、または煮卵をのせて醤油をかけ、白菜漬けやたくあん、時々いぶりがっこなど漬物を添える。味噌を少し足すこともある。体が温まり、美味しくて健康なのは何よりである。

数年前に某テレビ局のドキュメンタリー番組に出演した際、出張先に冷凍粥が妻から送られてきたところが放送され、その後しばらくは会う人みんなに胃腸の調子はどうですか?と尋ねられた。気遣ってもらえるのは嬉しかったけれども、あまりにも胃弱と思われたので、詩歌を始めるなら静寂を好む亥年生まれということで「亥寂」(いじゃく)という名前にしようと思ったくらいだ。話は逸れてしまったが、そんなことも忘れてしまうほど今は調子がよい。

ところで先日、四月以降初めて仕事で外出した。音楽家が京都の寺社の音を集め、その録音素材を使って楽曲を作り、境内に設置された場所で聴いてもらうという企画に参加することになったのだ。外出を伴う仕事はずっと断っていたのだが、早朝にフィールドレコーディングするのであれば、毎日の散歩とそれほど変わらないので引き受けることにした。

私が行くことになったのは東山七条の智積院。近くの小学校に通っていたのでいつも横の坂道を歩いていたわけだが、久しく訪れていなかった。一般公開前の午前六時過ぎ。予定より早く着いたので少し境内を歩いていると、スプリンクラーから放出された水が落ち葉に当たる音がして、遠くから朝のお勤めの音が聞こえてきた。

その後、明王殿で行われる朝勤行を録音させてもらえた。お堂の隅に座り、小型の録音機を手元に置く。護摩を焚きながら勢いよくお経が唱えられ、そこに太鼓が入ることでどんどん興奮が高まっていった。

録音していることも忘れて僧侶たちの重なる声の中に入り込む。しばらく家の中でヘッドフォンやスピーカーでしか音楽を聴いていなかったので、この音体験はとても感動的であった。なんだか励まされたように気持ちが明るくなった。その後、音集めのために境内を歩き回ると、お堂の裏山には賑やかに鳴く鳥たちの世界があった。

いつも思うことだが、フィールドレコーディングの面白さは録音中の集中している時間にある。ちゃんと録音できているかを確かめた後は、耳だけでなく全身でその音の中に入る。そこに発見がある。

修行僧たちが過ごす時間のそばに鳥たち独自の時間があるように、世界には複数の時間が存在しているように思える。外出をほとんどせずに私たち家族三人で暮らす時間は、河のそばにある小さな三日月湖のようである。本流から切り離されてぽつんとある小さな湖。窓の外では人々が往来していて、「日常」が流れている。春に生まれた子どもの成長を毎日、目の当たりにしているけれども、家の中ではずっと「いま」という状態が続いているように感じる。

来年はまた大きな河に合流できるだろうか。

 

(京都新聞夕刊「現代のことば」第16回 : 12月24日掲載)